2016-10-27

モノ

大幅なアップデートにより繰り返される再起動に嫌気がさして電源コードを抜いてやった。
もういい。こんなポンコツ、誰が使うか。今すぐ捨ててやる。
いやいや。うそうそ。ごめんごめん。お願いだから動いてよ。
相反する感情に募る苛立ち。おい。いつまでやるつもりだよ。お前、そんなボンクラだったのかい? なんで声をかけながら見守る。物も者も同じモノじゃないか。付喪神なんて昔から言うじゃないか。きっとこいつも神様なのさ。だから大事にしてやらないとな。

上島はそう言って、もう動かなくなった機械を撫でた。

更新

「更新中です更新中です更新中です更新中です更新中です更新中です更新中です……」
ジェーンが繰り返す。
「あ、更新するなら充電コード差しとかないと電池切れしちゃうよ」
僕がそう言うと
「はい。充電コードを差します」
とジェーンが言って充電を開始した。更新中なのに自分で充電を差すなんて出来るんだ。最近のアンドロイドは性能がいいなぁ。
それにひきかえ僕は更新が始まると全く動けなくなる。更新中に電池切れになろうものならリセットされてしまうのだから、最新式はやっぱり違うな。

ジャスミン茶に甘えて

ジャスミン茶を淹れる。紅茶や珈琲は自分で淹れても美味しくないけれど、ジャスミン茶はどれだけぞんざいに扱ってもそれなりに美味しいから良い。だから自分で淹れる。
電気ケトルでお湯を沸かす。カップとポットと小皿を用意。カップにジャスミン茶のパックを放り込む。パックだと計らなくても良いし、捨てるときも楽だ。電気ケトルのスイッチがパチリと切り替わる。お湯が沸いたのだ。ポットとカップにお湯を注ぐ。少し待ったらカップからポットにパックを移す。ふぅふぅ、と息を吹きかけて冷ましながら香りを楽しむうちにポットの方も良い塩梅に色づいていく。パックを小皿へ。これで良い。本当はもっとちゃんとした淹れ方があるのだろう。けれど、私はジャスミン茶ならこんな感じでも許してくれると信じている。ポットが空になったら、またポットにパックを入れてお湯を注げば良い。さっきより長く置いておけばまたジャスミン茶が飲める。ジャスミン茶なら無精も許してくれる。
きっと、本物を知らないからこんな事が出来るのだろう。珈琲は本当に美味しいお店を知っている。彼処の珈琲は本物。インスタントじゃ満足できない。本格的と本格は別物。まだ本物の紅茶は知らないけれど本格的な紅茶なら知っている。あの店と、あの店。あと、あそこも。自宅で茶葉を買って飲んでもなんだか違う味になる。だから、自宅では淹れない。
ジャスミン茶は優しい。私の無精を受け入れてくれる。多少の無茶なら訊いてくれる。その香りで癒してくれる。心のササクレをそっと潤してくれる。だから、だから、だから、だから……

日常の空虚さについて

一つ頑張れた。頑張ったことにして日記に書き付ける。良いことや頑張ったことを手帳に書くと良いらしい。どう良いのかはちゃんと読んでないから知らないけれど。まぁ、とにかく良いとならばやってみようと今日の出来事を振り返ってみるのだけれど、何もない。何もないことに気づく。空虚な一日だった。その空虚さに愕然とする。そして、少しほっとする。充実した一日というモノが、なんとなく恐ろしく感じる。なにがしかの強迫観念に駆られて充実させたのではないか? 知覚できないなにがしかに操られていやしないか。そうでなければ私の日常が充実するはずもないのだ。だから、一日を振り返って空虚さを感じると安心する。私は操られていない。